渡辺弘子の布絵の世界Vol.13『浜祭り』

弘子姉さんの住んでいる福井県美浜町早瀬は、
若狭湾に面した風光明媚な美しいところで、
かつては漁村として、また千歯扱き(せんばこき)の
生産地として栄えた土地でもあります。
信仰心が厚く、仏事や神事などの行事も盛んで
正月の1月3日の「浜祭り」では
村の災いを祓い、豊漁豊作を祈願して
浜で弓を射る「ハツユミ」が行われます。


・・・・『浜祭り』112×129cm:弘子姉さんの布絵の作品。
1月3日に、村の災いを祓い、豊漁豊作を祈願して浜で3本の弓が放たれます。
モデルは約15年前に代祝子(ほうり)を努めた純造兄さんです。
背景にあるのは裂き織り。本物の弓矢が使われています・・・・

この弓打ち講の正月神事は150年以上も続いており
主役となるのは、蛭子(えびす)神社の氏子から選ばれる
「代祝子(ほうり)」と呼ばれる人です。
代祝子は、宮司(ぐうじ)の代わりを努める神聖なお役で、
1年間村の神事や祭事を司ります。
代祝子となっている1年間は、身を清め、
日々のお努めはもとより
不浄なものが出ないように、家族全員で細心の注意を払います。

人口の減少により、現在は代祝子も持ち回りになっているようですが
かつては、このお役をいただくことは非常に名誉なことで
それ相応の人格者や有力者が選ばれていました。
「浜祭り」は、代祝子としての最後のお務めであり
クライマックスとなる、最高の大舞台です。
「浜祭り」が無事終了してはじめて、
代祝子としての1年間の緊張が解かれるといいます。


・・・・蛭子神社を出る代祝子(凛々しい純造兄さん)。
白襦袢(じゅばん)に黒の狩衣(かりぎぬ)、
烏帽子(えぼし)をかぶり、左手に2mを越える弓を、
右手には矢を大きく掲げ、神社から参道を通り、浜へと降りていきます。
参道の両側は盛砂で清められています。代祝子(純造兄さん)の
後ろにいる代祝子の草履持ちの少年は、息子の彰規(あきのり)君。
中学生だった彼も今は二児のパパです・・・・


・・・・蛭子神社で神事を終えたあとに浜に向かいます・・・・


・・・・蛭子神社から浜の方向を見た写真。
弘子姉さんは、右の古木の影から、浜に向かう純造兄さんの
後ろ姿に、ずっと手を合わせて祈っていました・・・・

純造兄さんも15年程前に代祝子を務め、
「浜祭り」で、矢を放ちました。
すらりと背が高く、筋肉質で贅肉ひとつないその姿は本当に凛々しく、
1年間浄化されたことを物語るような、神聖なるオーラが漂っていました。
それ以来、「浜祭り」は見ていません。
2012年は、人材不足で150年以上続いた「浜祭り」が中止になったことが
衝撃なニュースとなりました。
今年も残念なことに実現はできなかったようです。
純造兄さんや代祝子経験者たちは、
なんとか「浜祭り」が再開できるよう頑張っています。
困難を乗り越えて、ぜひ実現できることを願って止みません。


・・・・代祝子を努め、海に向かい「悪魔矢」を放とうとする
純造兄さん。平成10年1月3日・・・・

「浜祭り」は雪になることも多い厳寒の1月3日に、片肌を脱いだ代祝子が、
「当浦へ参ろうまじきものは、天下の不浄、内外の悪神、
病むということ、風の難、日の難、千里の外へ射やろう」と大声で
最初の「悪魔矢」を1本、海に向かい放ちます。
次に「当浦へ参るべきものは、京の白河、銭、米、
七珍万宝(しっちんまんぽう)、富、幸、美濃の国の糸、綿、
当浦へおさまる」と、2本の「福矢」を家並みの上に向けて放ちます。
美濃の国の生糸や綿が福の象徴となっているのは、
時代を反映し興味深いです。

かつての豊な時代を反映しているのか、
使われる弓矢は京都の弓師に依頼した由緒あるものです。
弓は相撲の弓取り式と同じタイプ、
矢を入れる矢筒は、伊勢神宮の遷宮の儀式と同じものという具合に
非常に格調高いものを使用しています。
そういえば、7月に行われる江戸時代から続く「水無月(みなづき)祭」で
担がれる神輿も約1.5トンもある立派なものです。
早瀬は本当に小さな村ですが、歴史の重みや先人の心意気を感じる土地です。


・・・・若狭湾の早瀬港は、まるで鏡のように穏やかな港です。
遠くへ「悪魔矢」を射る程、いい年になると言われています・・・・


・・・・写真家の吉川弘明さんが写した純造兄さんの代祝子姿。
(う〜ん、カッコイイ!!)。
写真集『ふるさとの景観  越前・若狭の祀り譜』に納められています・・・・


・・・・福井県立若狭歴史民俗資料館で展示されていた
「浜祭り」の神具類。中央にあるのは的(まと)です。
蛭子神社を出発する前に昨年の的が瑞垣(みずがき)の上から投げられ、
氏子たちが競ってそれを破り、断片を持ち帰ります。
断片は魔除けとして神棚や床の間に1年間飾られます・・・・

地方の人口不足は深刻で、経済が成り立っていかないので
数少ない若者も都市部へと流出しています。
今よりも物質的に貧しかった昔が
どうしてあんなにいきいきと、豊かに暮らしていたのでしょうか。
確かに早瀬は経済的にも豊かだった背景があるとはいえ、
すべてを効率とお金だけで計算してしまう
今の暮らしでは、とても理解は不可能な、
時間や手間をかけた暮らしがありました。
一銭にもならない神事や仏事に時間を費やすなど、
現代の方達には、無駄なことだと思うかもしれません。
しかし一昨年の大震災を経験したり不況が長引く中で、
祭りや神事などの持つ意味や、世代を越えた絆
効率だけでは得られない価値観が
少しずつ見直されてきたようにも思います。

きっと弘子姉さんは…
かつての早瀬の暮らしの良さを忘れないように
一生懸命「布絵」で、伝えようとしているのだと思います。
共感してくれる人がいると人は頑張ることができます。
弘子姉さんの心が途切れてしまわないように
少しだけでも「つなぐ」手伝いができればと思います。

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