Archive for 04, 2011

着物職人の試作品?匠の技の超レプリカ?

2011/04/20


KOFU(古布)の赤井さんから、
またしても珍しいものを送って頂きました。
一見、豪華な着物を広げているように見えますが
これは反物に右半身、左半身を着物の形に染め抜いたものを
縫い合わせ、1枚の生地にしたものです。
よく見ると、白い線で袖やおくみ、衿の部分を描いているのが
お分かりかと思います。

横幅が約80cm、縦が約1mくらいあります。
実際の着物よりは縮小されていますが
全体のバランスからみると
着物の柄が大きいような気がしますので
柄部分は現物と同じものなのでしょうか。

染めも刺繍も見事で
こんな豪華な着物をどなたが御召しになったのかしら…と。
いつの時代のものかは分かりませんが
かなり柄は、古い時代のような気がいたします。

先日、能の衣装を複製した生地を見せて頂きましたが
(これも近々ご紹介します)
この生地も、何かの衣装を複製するために
着物職人さんの手で作られた試作品なのでしょうか。
それとも、素晴らしい作品を作った記念として
その複製をこうして手元に残しておこうとしたのか…
真意は赤井さんもご存知ないようです。

このような豪華な着物作りは
たくさんの職人さんの手によって完成されます。
創案・図案から始まり、絵を描く人、絞りを入れる人、
友禅工程でも型付け、染め、蒸し等の工程を経、
さらに手描き友禅工程をして、装飾工程では
金加工、刺繍等が施されるという具合に
伝統技術を受け継いだ職人さんたちの力で
ようやく絢爛豪華な着物が出来上がります。

しかし、手元から離れてしまえば
自分たちはなかなか見ることはできません。
もしかしたら、匠の技が結集した総合芸術を、
後生のために残しておこうとしたのかもしれません。
そうだとすれは、すごいレプリカです!

贅をつくす「花見の陣地取り」絵柄!

2011/04/15

先日見せて頂いた「衣桁掛け(いこうかけ)」の続編です。
上の写真はローブに無造作に豪華な着物が
たくさん掛けられた絵柄ですが
黒地なので「留袖(とめそで)」でしょうか…
それにしても珍しい柄です。
これを所有の赤井さんが、
以前着物に詳しいお母様から聞いていた話しによれば
「お花見の陣地取りの風景」で
この絵柄は「春の柄」として認識されているようです。
多分、江戸時代頃の花見の風習ではないかと思い調べてみました。

・・・よく見ると手の込んだ細やかな刺繍が…・・・

江戸時代の花見は春の遊興のメインイベントだったようです。
武家でも大店の商家でも家臣や一族、奉公人が打ちそろって出かけ
町屋でも、町内会ごとに世話役を設けて団体で出かけ
長屋の住民も大家・店子が一緒になって
花見に出かけていたといいます。
身分を問わず江戸の住民にとって花見は「必須の行事」だったのです。
そういえばタクアンを卵焼きに見立てた
落語の「長屋の花見」は有名ですね。

お花見では大名やお金持ちは「花見幕」や「幔幕(まんまく)」と
呼ばれる幕を張り自分たちの独自の空間を楽しんでいたようです。
また町娘にとっては「玉の輿」を狙う絶好の場所でもあり
この日のために正月用の着物を我慢しても
お花見用の小袖をあつらえたといいます。
おそらくこの「衣桁掛け」の「お花見の陣地取り」の絵柄は
大店のデモンストレーション。
年頃の娘がいることをアピールしたのか、
華やかな女性を引き連れた桜の宴のアピールか…

それだけ江戸の住民にとって一大イベントのお花見が
今年は自粛。
それぞれの想いで、静かに花を愛でる年になりそうですね。
きっと来年は、大宴会で盛り上がるでしょう。

和風タペストリー「衣桁掛け」

2011/04/13


先日縮緬の中に隠された「渋札(しぶふだ)」をご紹介しましたが、
その所有者である赤井さんがお持ちの
たくさんの着物や反物、端切れの中から
またしても珍しいものを発見しました。
「衣桁掛け(いこうかけ)」というものらしいです。(写真上)
私も初めて拝見しました。
「衣桁(いこう)」はタペストリーのように
着物を広げて掛けておくものです。
釘はいっさい使わない組み立て式で
鳥居のような形の「ついたて式」と、
屏風のような「折りたたみ式」があります。

「衣桁掛け」は、普段着物を掛けていない時に
タペストリーのように掛けていたようです。
日本人は鏡台はもちろん、タンスにも覆いを掛けて
暮らしていました。実用と観賞の独特の暮らし方ですね。
そういえば昭和30年代はテレビにも覆いが…

「おそらく、漆や蒔絵などのついた高価な衣桁をお持ちの
裕福な家では、こんな雅なものを掛けて
楽しんでいたのでしょうね…」と
これを見た友人がメールをくれました。
着物の柄と同じように、「衣桁掛け」も
季節に合わせて替えたりしていたようです。

「衣桁掛け」は、着物をアレンジして作られたのだと思います。
着る機会が無くなった着物をこうして、
タペストリーにして楽しむ、本当に風雅な習慣です。

昔の着物は、生地がずっしり、しかしふっくらした感じがあり
織りや染めも本当に手が込んだ細やかさを感じます。
所々に入れた金糸や銀糸、立体的な刺繍の職人仕事に感動です!

これらのたくさんの着物をお持ちの赤井さんは
4月17日(日)にmother dictionaryの「春の会」に
KOFU(古布)」のブランドで出展します。
私も取材に伺いますが
ご興味のあるからはぜひ覗いてみてください!

丹後の石田さんの、切なる願い。

2011/04/12

昨日、ご紹介した『丹後縮緬、反物に隠した秘密!?』で
解説して頂いた「京都府織物・機械金属振興センター」の石田さんから
またしてもご丁寧なメールをいただき、感激しました。

「京都府織物・機械金属振興センター」は
丹後縮緬で有名な京丹後市峰山町にあり
沿革をみると、もとは「京都府織物試験場」だったようですが
昭和2年の奥丹後大震災で建物が全壊。
その後復興し、現在は丹後織物業と北部機械金属業の
振興・発展のために地術支援や経営支援を行っています。

以前は丹後縮緬の素晴らしい技術を紹介する資料も
作られていたのですが
現在はそういう活動もかなわなくなっています。
市場のきもの需要が減ったこともあり
産地の急速な高齢化と後継者難が進み、
産地と伝統技術の存続が危惧されているようです。
そういう無念さが、石田さんのメールから伝わってくるようでした。
丹後縮緬も大震災から復興した経験があり
そういう想いも今回の震災に投影されたかも知れません。

しかし、日本人にとっての「きもの」は
決して衰退をたどっているのではないと思います。
私の回りにもどんどん「きもの愛好家」が増えています。
彼女たちにとってきものは「特別な晴れ着」ではなく
「ちょっとお洒落したい」時に着る、洋服に代わるお洒落着です。
「洋服より着物が欲しい」と言っている人も多くいます。
ファッション業界も、今後きもの産業に参入するところが
増えていくような気がします。
「いいものを大切に着たい」「日本人を感じたい」
そういう価値観の大きなうねりを感じています。

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丹後の石田です。ブログを拝見致しました。

ご丁寧なご紹介を頂きありがとうございました。
先人たちが、ものづくりを大切にしてきたことを
誇りに思っています。
しかし、輸入生糸の現状、白生地の生産地など
企業利益を優先したものづくりになっています。
これも致し方ないと思いますが、
日本の民族衣装としての「きもの」を思うと複雑な気持ちが致します。
「きもの」を着る機会を増やすなど和文化の伝承が大切です。
今は、元通りの日本に一日も早く回復することを願うばかりです。

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丹後縮緬、反物に隠した秘密!?

2011/04/11


先日、お母様の形見の着物や、
店を畳んだご親戚の呉服屋さんから譲り受けた着物を
たくさん所有している方をご紹介頂き
古着、反物(たんもの)、帯、端切れなどを見せて頂きました。
その中にとても不思議なものを発見しました。(写真上)

反物の端の方に、盛り上がった筋のようなものがあり
これをほどいてみると、
なんと中から「こより」のようなものが出てきたのです。
丁寧に広げてみると
そこにはこの反物を制作した会社「加忠織物株式会社」と
織った方だと思いますが「文恵」の名前が。

これを見たわたしたちは驚嘆の声を!
「文恵さんが織ったんだ!」
「どうしてこんなところに隠しているのかしら…」
なんか、ミステリードラマのような想像を巡らしてしまいます。

「こより」に書いていた住所は
「京都府与謝郡野田川町三河内」とありましたので
丹後縮緬に間違いありません。
丹後縮緬といえば、
今回『テキスタイル用語辞典』制作でお世話になっている
京都府織物・機械金属振興センター」さんに訪ねるのが一番と思い
問い合わせたところ、さっそく下記のお返事を頂きました。

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お尋ねいただきました反末の「こより」ですが
ご推察のとおり製造メーカを表示するためのものです。
丹後では「渋札(しぶふだ)」と呼んでおり、
名前は織り手さんのお名前と推察致します。
この札は、製織工程で反末に織り込みます。

「こより」にすることで、
染色しても渋札の中までは染料が入りにくいため
製造メーカー等を知ることができます。
この渋札の目的は、丹後からは多くの場合
白生地で出荷しますので
染色工程等で欠点が発生した場合に、
その欠点の原因が製織工程にあるとしますと
丹後の製造元に返すことができます。
織り手さんの名前を入れることは、
その製品の製織に責任を持つことを意味します。

この渋札の使用は現在はありません。
昭和50年頃にどの機業も使用しなくなったと思います。
理由は、渋札を入れることで、生地表面に凹凸ができ、
それに伴い白生地に毛羽立ち等の欠点が発生したためです。

現在は、不滅インク等(耐精練用のインク)を使用して
製織年月日、機(はた)番号等を捺印しております。
渋札の他産地の状況はわかりかねます。

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大変分かりやすい丁寧な説明を、ありがとうございました。
「渋札」は普通、反物の外側についている
「商品ダグ」のようなものです。
和紙に「柿渋」を塗っているので非常に丈夫です。

反物に縫い込む「渋札」の習慣は
丹後縮緬独特のものかは分かりませんが
デリケートな白生地なので、考えられた技法なのでしょうか。
製造元や「織り手さん」が自分の作ったものに
最後まで責任を持つ、こういうものづくりが
「日本の伝統」を築いてきたのだと思いました。
謎が解けた、嬉しい発見でした!