Archive for 04, 2014

『北越雪譜』と御機屋(おはたや)の話

2014/04/11

『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』という本があります。
江戸時代に南魚沼市塩沢で
「越後縮(えちごちぢみ)」の仲買商や質屋などをし、
随筆家でもある鈴木牧之(すずきぼくし)によって
書かれたものです。
江戸に商いに来ている時、雪を珍しがる人たちを見て
雪国の話しを書いたらベストセラーになりました。

その中の越後縮を書いた項目に、
とても興味深い話があるので紹介します。
※越後縮の話は「『北越雪譜』と越後上布の話」
参照してください。
当時、縮(ちぢみ)一反(いったん)織れば、
南魚沼の米農家の年収の半分になったといいます。
(といっても一反を糸から織り上げるまでは
4〜5カ月はかかると思います)

挿絵 04
・・・・冬は雪に閉ざされてしまう豪雪地帯。猛吹雪や雪崩で
亡くなった可哀想な話もあります。『北越雪譜』挿絵・・・・

・・・
「縮を織る処のものは娶(よめ)をえらぶにも
縮の伎(わざ)を第一とし,容儀は次とす。
このゆえに親たるものは娘の幼きより
此(この)伎を手習(てならわ)するを第一とす。
・・・

『北越雪譜』では、
嫁を選ぶには織り技術が一番で容貌は二の次。
親は娘が生まれたら、幼いときから織り技術を
教えることを一番重視しなさいと書かれています。
このようなことは、日本の織物産地はもとより、
織物や手芸文化の発達した世界各地にもありました。

村では当然のように「どこそこの娘は織物が上手」と
評判が立つので、娘たちは自分もその中に入りたいと
切磋琢磨し技術の向上に励みます。
織物上手な娘は良縁を斡旋してもらえるので
わずかな報酬でも「名誉」のために、
大変な努力を重ねるのです。

計り知れない手間と時間をかけて織り上げる「縮」は、
人を雇って合理的に織らせる織物工場では
とても採算がとれません。
手間に対して賃金を払うような賃仕事では不可能です。
雪に閉ざされた豪雪地帯の農家の婦女が
“唯一できる冬場の副業”だからこそできることなのです。
これは近江上布などにも見られた事です。

小千谷縮
・・・・伝統工芸品に指定されている小千谷縮・・・・

そのなかに「機織りで気がふれた娘」のことを
書いた項目があります。
この娘は、初めて上等の「縮」の注文が入ったので
大変喜び、金銭は二の次にして、
糸作りから自分で始め、誰の手も借りずに
こつこつと丹誠込めて見事な「縮」を織り上げました。
最後に「雪晒し(ゆきさらし)」という
仕上げを行うために、晒し業者に出したところ
なんと、戻ってきた反物には煤(すす)のような染みが
1箇所付いていたのです。
あまりのショックに娘は気がふれてしまったという
哀れな話が挿絵とともに載せられています。

挿絵02
・・・・機織りで気がふれた娘の挿絵(左)。『北越雪譜』より・・・・

見事な「縮」を織り上げる事は、
金銭以上の名誉である事が「御機屋(おはたや)」という
話を読むとよくわかります。
御機屋とは、特別な時に着るような上等な「縮」を織るための
神聖な織り場の事をいいます。
織る時には家のまわりの雪かきを丁寧にして、
家の中でできるだけ煙の入らない明るい部屋を選び、
新しいムシロを敷いて、四方にしめ縄を渡し、
中央に機(はた)を置きます。
まるで神様がいるかのごとく畏(おそ)れ敬い、
織り手の他は中に入れません。
織り手は、家族とは別の火で調理したものを食べ、
機を織るときは、衣服を改め、
塩水で身を清める塩垢離(しおごり)を行い、
手を洗い、口をすすぎます。
毎日このように身を清めてから始めるといいます。

DSC_0038
・・・・鳥居の形をした日本の手機(てばた)・・・・

以前古い機屋(はたや)さんを取材した時に、
日本の手機のたて枠は「鳥居」の形をしているのを
教えていただきました。
御機屋のことを知って、なるほどと合点がいきました。
「機には神が宿る」からでしょう。
『北越雪譜』には
「神は敬うことによって霊威を増すものだ」とあります。
ちょっとしたものでも、お守りとして敬い信じれば
霊は存在し、不思議な力を発揮するものだとし、
「御機屋の霊威」の例が挙げられていました。

御機屋は優れた織り手でなくては
建てる事ができません。
御機屋を建てる事は娘たちの憧れであり
それはまるで、身分の低いものが
殿上人(てんじょうびと)を
羨むようなことに等しいのだといいます。
機を織るということがいかに神聖な作業であり、
神の域に近づこうとするかのような
お金には代え難いもの作りのプライドがあったからこそ
日本には素晴しい織物文化が生まれたのだと
改めて実感しました。


「越後上布」は
『テキスタイル用語辞典』のコラムでも紹介しています(027P)。
echigojyoufu

『北越雪譜』と越後上布の話

2014/04/04

NHKの「小さな旅」
「雪の機(はた)~新潟県南魚沼市~」(3月9日放映)で
江戸時代ベストセラーとなった
『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』と共に
豪雪の新潟県南魚沼市で織られる
「越後上布(えちごじょうふ)」を紹介していました。

挿絵03
・・・・雪かきの様子や雪中歩行の用具の挿絵。『北越雪譜』より・・・・

『北越雪譜』は江戸時代に南魚沼市塩沢で
「縮(ちぢみ)」の仲買商や質屋などをし、
随筆家でもある鈴木牧之(すずきぼくし)によって
書かれたものです。
江戸に商いに来ている時、雪を珍しがる人たちを見て
雪国の話しを書いたら大当たりしました。
特に魚沼の名産品である
「越後縮(えちごちぢみ)」の事を書いた項目が
充実しているようなので、
興味を惹かれ早速購入してみました。
挿絵や現代語訳などもあるので
(ネットで検索もできます)かなり面白く読めました。
そこには日本の織物の原点があるような気がしました。

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・・・・越後上布。NHK「小さな旅」の映像より・・・・

「上布」とは、夏の麻着物地の最高級品とされる麻織物で、
苧麻(ちょま/からむし)を原料にしたものです。
越後地方(主に小千谷市、十日町市、塩沢町)で
生産するものは特に「越後上布」と呼ばれます。
かつては「越後布(えちごぬの)」と呼ばれていたようですが、
昔の地元では単に「布」と呼ばれていた事を
『北越雪譜』を読んで知りました。
だんだん評判が上がるにつれ「越後布」「越後上布」と
名前が付けられブランド化していったのでしょう。

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・・・・越後上布と、原料の青苧(あおそ)・・・・

「越後上布」の中でも糸に強い撚りを掛けて(強撚糸)
「縮み」を出した織物を「越後縮」といいますが、
総称して単に「縮(ちぢみ)」とも呼ばれています。
現在は、小千谷(おぢや)地区で織られる
「小千谷縮(おぢやちぢみ)」がよく知られています。
越後上布は、苧麻の繊維
(これを青苧《あおそ》といいます)を糸にしてから
織り上がるまでの工程は大変な手間と時間がかかります。
現在も昔ながらの手法で作られているものは、
国の重要無形文化財の認定を受けています。

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・・・・小千谷縮/2014年2月「GIFT SHOW」にて・・・・

越後上布は、苧麻の皮を剥いだ粗繊維(青苧)を
「苧績み(おうみ)」という
さらに裂いて縒(よ)って糸にしていく作業をし、
その後いくつかの工程を経て織り上げます。
織り上げた布は洗い上げ、
雪の上に布を並べて太陽に晒(さらす)す
「雪晒し(ゆきさらし)」という作業が行われます。
オゾンの酸化作用で白はより白くなり、
色物は色が冴えてきます。
これは、越後上布独特の晒しの手法です。

苧績みから始めて、織り上げ、雪晒しの作業までは
すべて雪の季節に行われます。
苧麻を原料に、とても細い糸にして織り上げる越後上布は
天然の湿り気がなければ切れやすいため、
まさに豪雪地帯が生産地として適しているのです。
織り手は湿度を保つために
暖房のない凍てつくような部屋で
辛抱強く織り上げていくのです。

挿絵01
・・・・雪晒しの風景の挿絵。『北越雪譜』より・・・・

『北越雪譜』の有名な一説があります。

「雪中に糸となし、雪中に織り、
雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に曬(さら)す。
雪ありて縮(ちぢみ)あり、
されば越後縮は雪と人と気力相半(あいなかば)して
名産の名あり。
魚沼郡(こおり)の雪は縮の親といふべし。」

(越後縮は)雪中に糸をつくり、雪中に織り
雪水で洗い清め、雪上で日に晒す。
雪があってこそ縮がある。
越後縮は雪と人と気力が補いあって
はじめて名産品といえる。
魚沼郡の雪は縮の親というべきものである。

雪国の人は雪に閉ざされた極寒生活に耐え忍ぶ
心棒強さがあります。
中でも越後人は粘り強さと丁寧さががあるといわれます。
そういうすべての条件が揃ってこそ、
この「越後上布/越後縮」が生まれたといえましょう。

次回は「御機屋(おはたや)」についてお話します。


「越後上布」は
『テキスタイル用語辞典』のコラムでも紹介しています(027P)。
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